ポスター画像出典:『映画.com』
『神の目線』とは、こんなものは『日本語』だ。重要なのは、その言葉が指し示す言葉の意味である。では、自分の子供の命を守ることは、正しいのか、それともエゴなのか。全ての人間が規範意識を鍛えられることになる。どうも以下の記事を貼り付けることが多くなってしまったが、これはわざとではない。自然とそうなっているだけだ。私が言うことを理解するためには、以下の記事を読むことは避けられない。ただし、このサイトで最も難易度の高い記事のため、全てを読む人はほぼいないだろう。
ただこの映画には扱うテーマがテーマなだけに批判意見もあるのでそれを載せておこう。キリスト教側からはこう。
正教会の司祭からは、作品の根幹にある設定が創世記の実際の記述からかけ離れている事を「47RONIN(が忠臣蔵を破壊している)くらい原作を破壊している」との譬えで指摘し(ノアの三人の息子にはそれぞれ妻がおり、箱舟に一緒に乗った記述が創世記7章にある)、聖書の原型の影も形もとどめていない一作品であるという事を前提として見るべきであるという見解が出されている。
ユダヤ教側からはこうだ。
正統派ユダヤ教ラビの指導者のシュムリー・ボアテックは『ノア』につき「価値ある映画の一つ」(a valuable film)として一定の評価を下しつつも、「ハリウッド映画が主要な情報源となる事は望まない。幸いなことに、彼らの映画はさまよっている。」として、人々が原典に立ち返るきっかけになる事を望むと述べている。
こうした意見は『パッション』『エクソダス神と王』の時もあったから、映画を過信、盲信してしまう人には有効な主張となる。確かに『47RONIN』を真正面から受け取るとそうなるので、視野が狭く、忠誠心が高い人たちからすればこういう意見になるだろう。私も以前はそういう視野の狭さを持っていた。そもそも私は親からクリスチャンになることを強要されて育ち、宗教を呪い、特にキリスト教に対しては憎悪の念を抱いていたので、そんな私がこの映画に教訓性があると言っている時点で、私にあるのは視野の広さ以外の何でもない。想像力を持つべきである。