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『LUCY/ルーシー』 レビュー(感想)と考察

LUCY/ルーシー

 

脳科学と『能力の顕在化』について考えている人間であれば、この映画を観て感想が出ないわけはない。一体、『1+1=2ではない。』という発言の意味は、どういう意味だったのだろうか。

 

追記:数年後、この世にある名言、偉人の考え方、哲学、宗教、神話等について学んだ後にもう一度この映画を観たら、かつて意味が分からなかった彼女のセリフの意味が理解できるようになっていた。ヒントはニーチェの言葉にあったのだ。そして、手塚治虫などもこの言葉の意味が分かっただろう。

 

最初に観た時『もちろん』理解できなかった。だが勉強を積み、人類学、ニーチェや手塚治虫の言葉や哲学、視野を知ると、霧が晴れて見晴らしがよくなった。

『論理は完全な虚構の見本である。現実の中には論理などは存在せず、現実はまったく別の複雑極まりないものである。我々は実際の出来事を思考においていわば簡略化装置で濾過するように、この虚構を図式化することによって記号化し、論理的プロセスとして伝達および認識可能なものとする。』

 

 

このニーチェの言葉、そして手塚治虫はこうだ。

 

あるいはここで出てきている偉人たちが口を揃えて言っているつまりLUCYに出てくる『1+1=2ではない』という言葉は、ここを押さえないと理解できない。我々が認知している

 

  • 数字
  • 真理

 

という『絶対的な存在』は、『絶対ではない』。我々はニーチェの言うようにただ自分たちの心の安堵の為に『それっぽい記号』を生み出して認識可能にし、全容を把握した状態にしようとする。だが、それは『全容ではない』のである。『ルーシー』というのはこのWikipediaにもあるように、『人類の祖先』の名前である。人間は時間をかけて進化し、現在の姿かたち、言語、思想に哲学を手に入れたが、これは『最終到達地点』ではないわけだ。もっといい形がある可能性がある。

 

この映画でスカヨハが演じた彼女は最初、そのあたりの夜の街にどこにでもいそうな、遊び人だった。それが、ドラッグの力によって(それ以外にはこの現象は不可能)潜在能力を引き上げられ、

 

  • 時間
  • 空間
  • 物理的限界
  • 生死

 

といったすべての概念を超越し、この世から姿を消した。彼女が『1+1=2ではない』と言ったとき、最初に観た時に強い違和感を覚えた。何が重要な話をしている気がした。だがその時はまだ理解できなかったのだ。しかし勉強を積むと概要が見えてくる。この映画は中々面白いテーマを突いているのである。常識に支配されている人には理解できない。

 

高村光太郎は言った。

 

『エネルギー不変の法則』を知っているだろうか。この世は、人が死んでも、物が燃えても、形が変わるだけで、エネルギーの総和は変わらない。例えば下記の図、『ウロボロスの輪』を見ても分かるように、自分たちが目で見えて認識している以外の場所にも、きちんと世界は認識している。

 

ウロボロスの図(画像

 

木が燃えて、個体エネルギーは消えても、『気体エネルギー』としてこの世に残り、結果『宇宙の総和』は変わらないのである。このあたりのことをざっと考えた時、『LUCY』で突いているテーマというのは中々奥深いということがわかる。彼女の知能は極限まで発達し、『もはや、限界のある人間としてこの世に存在している意味などない』と理解したのだ。だからあの映画が理解できない人はただの勉強不足だ。かつての私と同じである。もちろん私も、理解したつもりの似非知識人なのだが。