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『カッコーの巣の上で』 レビュー(感想)と考察

カッコーの巣の上で

ポスター画像出典:『映画.com

 

何かと伝説的作品として挙げられることが多いこの作品。だが、この映画を考えるのに必要なのは『アメリカン・ニューシネマ』という『流れ』である。要は、この作品単体で考えると衝撃的な作品かもしれないが、実はこの時代、ニューシネマの流れによって、『アンハッピーエンド』というのは『常識』だった。であるからして、『タクシードライバー』、『時計仕掛けのオレンジ』、『俺たちに明日はない』などもすべて同じような気配が漂うのである。そしてこの作品もその流れの一つだ。だとしたら印象が変わってしまう。

 

つまり、この作品がその他の作品と比べて異質で希少性があるように見えるのは、今挙げたような作品『と比べない』からだ。そう考えた時、私がこの映画を観て正直に抱いた感想は、的を射ている。他の人がこの作品をやけに高く評価するからどれほどのものかと構えたのだが、私の想像を超えることはなかったのだ。この作品がもしアメリカン・ニューシネマという『常識的な流れ』の中にある作品ではなかったのなら、きっと更に爆発力があっただろう。何しろ、川でも海でも、流れに逆らうということは常に大きなエネルギーを要するからである。

 

さて、それはさておいて純粋に考えたい。そうは言ったが、他のアメリカン・ニューシネマの作品と比べてもとても見応えがあるし、私の好きな映画だ。もし私に映画鑑賞の経験が少なく、またこの時代に生きていてこの映画を観ていたなら、きっと大きな衝撃を受けていただろう。それでは本題に移ろう。

 

古代ギリシャでは精神病は体の病気とされていた。例えば、ヒステリーは子宮の病気とされていた。そして中世ヨーロッパでは、精神病者は『神により罰を与えられた罪人』とされていた。しかし、1793年に、Ph.ピネルによって『精神病者は罪人ではなく、治療を受けるべき病人』だとわかった。

 

かつて『虫歯』は、歯に穴が開いたところに、何か歯に穴をあける不思議な力を仮想したり、ときには悪霊などの仕業だろうと考えていた。それに対し、アメリカ人のミラーが、ドイツのロベルト・コッホ(1843~1910年)の研究所にいて、結核やコレラのように、何かのバイ菌が虫歯をつくるのだろうと、口腔中のいろいろな菌を調べ、『化学細菌説』という理論を出したのが、虫歯に対する最初の学説である。

 

かつて、『ロボトミー手術』という人間の一線を超えた医療が実際に行われていた。そんな時代に刑務所から逃れるための『詐病』によって精神病院に入院した一人の男が入院してきた。最初こそ他の者は『病人らしく』彼と接していたが、次第に彼の前向きなエネルギーに影響を受け、病人のはずなのに『健常者』のように振舞うようになった。彼らは本当に隔離すべき対象なのか。そんなことを一つ頭に浮かべながら、人間の尊厳のギリギリのラインを綱渡りする彼らの動向を、我々はその男を軸にしながら伺うことになる。

 

男のエネルギーは大きかった。だから彼らに『人間らしさ』を与え始めた。だが、それよりも大きなエネルギーが彼らに襲い掛かったとき、物語は大きな急展開を見せた。果たして、その男と彼らに待ち受ける衝撃的な展開とは。そして、人間とは、人生とは一体なにか。