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『アイ・アム・サム』 レビュー(感想)と考察

アイ・アム・サム

ポスター画像出典:『映画.com

 

父親が知的障碍者である。そんな事実を考えた時、世間一般はまず見て見ぬふりをしたい。それだけ困難な状況がそこにあるのがわかるからである。自分の人生でもこんなに大変な思いをしているのに、そんなところにまで目を配ることはできないのだ。私の兄の結婚式があったとき、ある女性が私に近づいてきて何かを催促した。ご祝儀がどうのという話だったのだ、こっちはこっちで様々な事情を抱えていて、それどころではなかった。式の時間が書いてある紙が、お洒落な演出からか手紙の中の小さなメモに入っていてそれを私が見落として、式に出られなかったのだ。

 

私は元々人に合わせない性格だし少年時代は荒れていたから、多くの人々は私を悪く思っただろう。わざと出なかったとか、だらしないとか。しかし私は30分前に着いて、隣の公園で読書をしていたのだ。私は人一倍念入りに用意をしたはずなのに、その真逆の印象を与えてしまったのである。とにかく複雑だ。その女性が何を目的としているとかそんなことはどうでもよく、とにかく皆が集まる会の方には間に合った。

 

そうして帳尻を合わせながら落ち着こうとしたその時、女性が私に暴言に似た捨て台詞を吐き、私のそばを離れたのである。正直、ぶん殴ってやりたいくらい理不尽だった。怒号をまき散らし、胸倉をつかんで地面にたたきつけ、『なぜ今俺に暴言を吐いた?』と脅してやりたいくらい、理不尽だった。

 

・・さて、『世間一般』の人間の人生を少し覗いてみた。人は往々にしてこんなものだ。皆自分本位であり、人生に余裕はない。であるからこそ、彼のようなハンデを負った人のことを気遣おうという発想は生まれないのだ。

 

だが違う。そういう人こそこうした映画と向き合わなければならない。それは映画を観ればわかることだ。何を焦っている。何を欲している。我々が本当に大切にすべきことはなにか。思い出すべきである。