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『ドライヴ』 レビュー(感想)と考察

ドライヴ

ポスター画像出典:『映画.com

 

ライアン・ゴズリングは、『ラ・ラ・ランド』で有名になる前は、こうした内向的で不思議な世界観を持つ男の役が多かった。ラ・ラ・ランドの後に出た『ファーストマン』でも、一人で悩みを抱え込むアームストロングの役を演じたが、この作品では、その彼の持つ世界観に狂気さがプラスされ、独特の世界観を作り上げている。ここで流れる時を刻むことをイメージしたBGMは、『96時間』でも流れたが、映画館の緊張感を最高に高める為にはうってつけの音楽だ。

 

※2回目

最初に観たときはまだ映画経験が浅く主体性も本気度も薄かったので、この映画の印象は特徴的なBGMと、口数の少ない男、そして結構グロい暴力シーンというものでしかなかった。いかにも映画経験が浅い人間が持ちそうな感想である。主体性がない『客』止まりの視聴者が気づけるのは、せいぜいその程度の表層である。

 

だが、映画視聴も3000本を超えてくると、様々な視点を持つことができるようになってくる。今回のように、以前観たものをもう一度観たくなるのはその成長した自分でもう一度確かめたかったからである。その意味で言うと、そういう映画は数えるほどしかない。『また見たい』と思えるような映画や、『もう一度観ないと見たとはいえない』という難解な映画がそう多くはないのだ。

 

ライアン・ゴズリングは口数が少ないクールガイを演じることが多いから、結果、彼の映画は難解なものが多い印象にある。こちらサイドが言葉ではなく、言葉以外の表現で彼の心境や人生を想像しなければならないので、主体性がない視聴者には難解な人物となる。

 

だが、『ラースと、その彼女』然り、彼はこの手の役をやらせたらピカイチである。ピカイチだからこそ、彼がそういう役をやることが多いのだ。『ファースト・マン』で見せたニール・アームストロングもそんな彼だからこそ選ばれたのだろう。

 

 

私にもそういう一面があるからわかるが、こういう内向的な人は普段、『耐えている』。口数が少なく、無駄な争いを嫌い、秩序ある毎日を望むことから自らが自身が関与するコミュニティで『耐える』ことで、異なり、軋む歯車の潤滑油の役を買って出ている。

 

だが、忍耐というのは物理的に限度がある。物質も、ある一定の負荷がかかれば折れたり曲がったり、割れたりしてしまう。堪忍袋の緒が切れるのである。

 

そして、このように普段耐えている人は、『その分だけ』表面化させるときにツケを払わせる。清算するのだ。そうじゃないと平等じゃないからだ。普段自分が耐えている分、今日はお前らが受けるべきだと、考える節があるのだ。

 

その危険因子を含んだ内向性と、元々別の部分で培ってきた狂気や人生に対する哲学が一歩狂えば、今回の彼のような行動になって現れる。

 

元々、そういう因子は彼のような人間だけにあるのではない。平和を求める性格で考えても、彼だけではそのような行動には出ない。だが、この世界には元々、彼以上に狂気を持った人間で溢れているのであり、彼らのような人を生みだすだけの狂気や歪んだ事実が、根深く存在しているのである。

 

 

まるで、火に近づけば燃えてしまう紙類のように、それ自体では他に害をなさない物質も、違う危険因子に近づけば他に害をなす物質になり得る。

 

だとすると今回の話の最も根源的なところにあるのは『この世界の多様性と混沌』だ。火があり、白アリがいて、宇宙があり、酸素がある。岩があり、雪崩があって、地震が起き、生命に寿命がある。

 

生命には天敵がいて、命は繋がれていて、隕石が衝突すれば死んでしまい、温度が上がっても下がっても生命が死ぬ。この、混沌とした多様性の広がる世界で生きていく『基本設定』が、『彼ら』を生みだし、『彼』を生みだしているのだ。

 

 

 

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